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1.生計と情熱

トンモイさんは、大学時代に計算機科学を勉強されていたんですね。
そして、現在は新聞社でエディトリアルカートゥニストをされています。
何か、進む方向を変えるような出来事があったのでしょうか。

トンモイさん
いったい何があったんでしょうね(笑)。
計算機科学を学んだのは、両親が僕にそうしてほしかったからです。
両親は僕に、計算機科学を学んで、エンジニアになってほしかった。
一応そこでは両親の意見を聞いて、卒業する時に、「ちゃんと、言われたとおりに計算機科学を勉強して卒業したし、これからは好きなことをするね!」と伝えました(笑)。

(笑)。 

トンモイさん
もともと、小さい時からいつも絵を描いていました。
バングラデシュには、Unmadっていう、おもしろくてクールで、若者に人気の風刺漫画誌があるんですが、それを僕の兄たちが読んでいて。
小さい時って、お兄ちゃんお姉ちゃんがしていることを真似したくなるじゃないですか。

なりますね、分かります。

トンモイさん
それで僕もUnmadを読んでいたんですが、読むだけじゃなくて、Unmadに載っている絵を、真似して描いてたんです。
それを見た兄が、「上手だな」って、ほめてくれて。
「このまま絵の練習をすれば、いつかUnmadで働けるかもしれないぞ」って言われて、それが僕の夢になりました。
そして実際に、大学に入学した年から、Unmadで働き始めたんですよ。

とても早くに夢がかなって。

トンモイさん
ただ、そこに至るまでに、2年かかっています。
毎年2月に、ダッカ大学のキャンパスで大きなブックフェアがあって、Unmadは毎回大きなブースを出しています。
高校生の時に、自分の描いたものを編集長に見せるチャンスだと思って、絵を持ってUnmadのブースを訪ねたんですが、最後の最後で勇気が出なくて。
2年連続で、見せられずに帰りました。
Unmadの編集長はアーサン・ハビブという人で、バングラデシュのカートゥニスト界ではレジェンドなんです。
その後、高校を卒業して、先に話したように、大学で計算機科学を勉強しました。
僕の父は、いつも僕に、「描くことへの情熱を、生計手段にするな」って言っていました。
生計がたたなければ、せっかくの情熱も追いかけられなくなってしまうから、絵のことはひとまず置いときなさい、と。
そうすれば、いつだって趣味として絵が描けるから、と。
それが父の哲学だったんです。

トンモイさん
でも、大学に入学した年に、やっとUnmadへ自分の絵を見せに行ったんです。
そしてなんと、その場で働かせてもらえることになりました。
なので、大学1年目にして、すでに風刺漫画誌で働いていて。
4年間の大学生活中は、毎日必死でしたね。
計算機科学の勉強をして、絵もかいて、Unmadの仕事をして、自分の描いたものを出版してもらって。
だから、卒業する時には、もうカートゥニストとしての自分が確立していたんです。

トンモイさん
ただ、当然、両親や家族は、僕が、大学卒業後にコンピューター関連の仕事に就くことを期待しますよね。
学位を取ったので。
でも幸運なことに、卒業のタイミングで、Daily Sunという新聞社が、正社員のカートゥニストとして働かないかと声をかけてくれたんです。
しかもそのお給料が、新卒のコンピューターエンジニアでは到底もらえないような額だったので、僕の両親も反対する理由がありませんでした。

つづきます