TSUMUGIのこと、日々のこと

TSUMUGIのことや日々考えたことなどについて
深谷が書きます。


 

つくる人と、つくってもらう人と、

 
 
きっかけがあって、マザーハウスの山口さんが以前ブログか何かに書かれていた話を思い出した。
 
記事を見つけることができなかったので記憶を頼りに書くと、当時新しく役員になった方が山口さんに、「経営の観点からは色々と考えなければならないことがあると思うが、それでも、つくりたいと思うものをつくってほしい」という内容の言葉をくれた話だった。
 
読んだのは大学時代だと思うが、その時のわたしには、山口さんにかけられたその言葉の意味とか、その言葉をかけられての山口さんの気持ちとかは分からず、たださらりと読んだ。
 
 
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TSUMUGIをつくる人としての自分にとって、TSUMUGIは、自分の信じるものをつくることができるありがたい場所だ。ものをつくる時の姿勢や生き方を曲げることなく、信じることにしたがってまっすぐで居られる。
 
一方、「TSUMUGIをつくる人としての自分」にTSUMUGIをつくってもらっているのもまた自分だ。そのつくってもらっている自分は、どこかで働いてお金を用意し、「つくる人としての自分」のために聖域を確保してあげている。そのおかげで、「TSUMUGIをつくる人としての自分」は、余計なことを考えず、TSUMUGIをつくることだけを考えていられる。
 
じゃあ、TSUMUGIが形を変え、売り上げを得られるようになることを目指す時、つくってもらっている自分は、「つくる人としての自分」のために、聖域を確保してあげられるのだろうか、と思う。
 
逆に、「つくる人としての自分」がつくってもらっている自分に引っぱられ、大切なことを見失い、何か大きな間違いを起こすんじゃないか、とも思う。
 
もうずっと分かっていたことだけど、わたしには「つくらせてくれる人」が必要だ。つくってもらっている自分は、何年たっても、他の仕事でお金を稼いでくることしかできないから。
 
いつか「つくらせてくれる人」が現れた時、その人が、色々な状況を考慮しつつ、それでも、「つくりたいものをつくってほしい」と言ってくれる人だったらいいなと思う。
 
そして「つくる人としての自分」は、「つくらせてくれる人」だって本当はまっすぐに自分の信じることをしたいこと、それでも様々なことを考慮するというタフなことをしてくれていること、そのおかげで「つくる人としての自分」はものをつくることができることを、いつも覚えていたい。