ドミニカ共和国食べもん日記

 旅先から帰る。「どうだった?」と感想を聞いてくる家族や友達に、「良かったでー!○○が美味かったわ!」と、二言目にはいつも食べもんの話をしているような気がする。
 食べることが大好きで、美味いもんに巡り会っただけで「あぁーええとこやなぁ」と思える。土地の印象は食べもんで決まるのだ。

 そんな私は今、JICA海外協力隊としてカリブ海の島国、ドミニカ共和国へ派遣されている。
 任地は国東部のアト・マジョール。特産品がオレンジやレモンであることから、「Capital del Cítrico(柑橘類の都)」とも呼ばれている。柑橘類の他にも、街の周囲に広大なサトウキビ畑が広がっていたり、放牧地で牛たちがのんびりと草を食んでいたり、日本では見かけないユカ芋、カカオ、コーヒーなどの農園が点在していたりと、農業が盛んな州だ。

 食事は毎食ドミニカ料理。主にホームステイ先で家庭料理をいただいている。
 朝、ホストマザーが淹れてくれたコーヒーを飲むと、寝ぼけ眼が覚めて「今日もドミニカ社会の一員として働くかー」という気分になる。食堂で地元のおじさんと肩を並べアビチュエラを食べていると、自分の存在が土地に溶け込んでいくような感覚になる。一日の終わりに、ステイ先のお孫さんたちがおどけている隣でプラタノを頬張っていると、本当の家族に近づけたような気がする。
 一食一食、ドミニカ色に染まっていく――

 本エッセイでは、食いしん坊な私が、ドミニカ共和国の食卓や食堂はもちろん、台所や畑など「食の現場」で出会ったひと、もの、ことから心動かされたことを綴る。
 食を通して、読者の皆様のドミニカ共和国のイメージが膨らんでいくような連載にしたい。

 不定期連載、編集担当は野田です。


プロフィールサンプル画像
野田たかふみ

JICA海外協力隊(青年海外協力隊)としてドミニカ共和国東部のアト・マジョールに暮らす。任期は2019年4月から2021年4月まで。志賀直哉が「うまいものなし」と評した奈良県出身の27歳。うどんが好き。

 
 

4.ドミニカ共和国のクリスマス【パーティー編】

 
 
 クリスマス・イヴの夕方、パーティー会場となったホストファミリーの長男夫妻宅の台所には、3人の女性が立っていた。
 長男の奥さんはポテトサラダをマヨネーズで和え、ホストマザーはエンパナーダというミートパイを油で揚げ、彼女の姉(つまり私から見ればホスト叔母)はブドウとリンゴを鍋に張った水で洗っている。
 ドミニカ共和国では、一般的に「料理は女性の仕事」となっている気がする。男の私がホームステイ先でカレーを作ると「料理ができるなんてすごい!」と驚かれ、その後しばらくステイ先に来客がある度、「この日本人はタカ。日本食が作れます」と紹介され続けたのだ。
 調理や配膳を手伝っても良かったのだが、ここしばらく体調を崩していた私は、台所が見える位置に置かれた椅子に腰かけ、パーティーの準備を見守っていた。隣の机には、配属先の女性秘書が言っていた通り、長いパンや干しブドウが置かれている。
 隣に座っていたホストファザーは、おもむろに立ち上がると、揚げたてのエンパナーダを紙ナプキンで掴み頬張り始めた。つまみ食いと言うには、少々大胆なフライングである。
 会場には次から次へと老若男女が訪れる。みんな親族らしい。車で1時間ほどの街から来ている人もいる。
 聞いてた通り、クリスマスは日本の正月みたいな感じなんやなぁ。
 20人ほど集まった親族を前に、一体誰が誰とどういう関係なのかも分からないまま、パーティーは始まった。

 リビングに置かれた大きなテーブルをみんなで囲み、クリスマスのお祈りを済ませると、ホストファザーお待ちかねのご飯の時間がやって来た。
 先ほど準備されていた料理に加え、鶏肉、豚肉、スパゲティー、ラザニア、クリスマス用のお菓子がそれぞれ、大きなアルミのトレーに乗せられている。
 片隅には炭酸飲料が置かれており、お酒は見当たらない。
 
 
写真サンプル
 
 
 一人一人が皿を持って、バイキングのように食べたいものを食べたい分だけ取っていく。
 余談だが、食器は全てプラスチック製。この国で人が集まり飯を食うとなれば、十中八九使い捨ての食器が使われる。
 私はお腹の調子が悪かったものの、やはり食べないわけにもいかず、ポテサラ、鶏肉、スパゲティーなど少しずついただくことにした。
 ポテサラにはリンゴが入っていた。
 鶏肉は炭火で焼いたような香りがした。どこかで買ってきたのかもしれない。
 スパゲティーはトマト味。ドミニカ共和国の一般家庭で食べられているスパゲティーは、程度に差はあれど、茹で過ぎの状態出てくることが多い。今日の麺も茹で過ぎてブヨブヨで、茹でられてから相当の時間が経っているらしく、麺同士がくっついて塊になっている。
 味はよく分からなかった。体調のせいだと思う。
 それでも黙々とご飯を食べる。いつももりもり食べている人間が急に食べなくなると、家族に心配をかけてしまう。年に一度のクリスマスに、余計な気遣いをさせたくなかった。
 半ば義務的に食事を口に運びながら、みんなの姿を眺めてみるが、プレゼントが出てくることもなければ、ケーキが出てくることもない。みんなディナーとお喋りに忙しい。
 たくさんの料理の支度やスーパーで見た浮足立つ買い物客のことを思うと、意外なほど目の前の光景にクリスマスらしさはなかった。
 かく言う私もご飯を食べるので精一杯。クリスマスの特別感はなかった。
 
 
 料理を食べ終え、炭酸飲料を飲んで一服していると、ホストファミリーや親族らが、口々に「タカ、もう食べないのか」「ほら、まだまだあるぞ」と、とにかく食え食えと料理を勧めてきた。
 この感じ、何かに似てるなと思ったら、そう、これも日本の正月なのだ。
 正月には、父方の実家に親族が集まり、おせち料理やお雑煮を食べてきた。そして毎年、祖父母は私に「たかふみはもっと食べるやろ」と餅や米をたらふく食わせたのだ。
 「もうお腹いっぱいや」
 そう言いながらも断り切れず、勧められたお菓子を摘まむドミニカ共和国の私もまた、日本の正月を過ごしている私と同じだった。