Inside of Old Dhaka

バングラデシュの首都、ダッカ。
その南部を流れるブリゴンガ川沿いに、
オールドダッカと呼ばれる旧市街があります。

そこは、音と人にあふれた活気ある場所。
細く入り組んだ通りを
リキシャや荷車が忙しなく行き交い、
ベルの音や威勢のいい掛け声が響く。
その隙間を、人々は事もなげに縫ってゆく。

通り沿いには、間口の小さな商店たち。
靴屋、床屋、宝石屋など
一目見てそれとわかる店もあれば、
一体ここは…というような不思議な店も。

焼きパン屋では、生地をこねる職人の
よどみない動きに引き込まれ、
茶屋では、おいしそうにミルクティーを
すする男たちに目を奪われる。

オールドダッカには
人々のエネルギーが満ちています。

その様子を、ただながめているだけでも
十分たのしい。
けれど、もう少しオールドダッカのことが
理解出来たら、そこで暮らす人々のことが
知れたら、きっともっとたのしい。

そこで、オールドダッカで生まれ育った
ビラジさんに、オールドダッカと
そこでの暮らしについて
教えてもらうことにしました。
「オールドダッカの路地ならすべて
知っている」というビラジさんは、
オールドダッカツアーの
アテンドボランティアをしています。

ながめているだけでは分からない
オールドダッカの内側へ。
隔週日曜更新、編集・翻訳担当は深谷です。


プロフィールサンプル画像
Biraj Vashkar Nath(ビラジ・バシュコル・ナットゥ)

1985年生まれ。ダッカ市の南部に位置するオールドダッカで生まれ育つ。2011年より、オールドダッカの歴史的建築物の保全活動を行う団体「Urban Study Group」のボランティア兼ボランティアコーディネーターを務め、オールドダッカツアーにて国内外からのゲストをアテンドしている。現在、オールドダッカにある英国植民地時代の建物にてホームステイができる事業を準備中。決めゼリフは「Because old is gold」。

8. コロナウィルスとオールドダッカ

 
 
オールドダッカでは、いつもなら、友人同士のカジュアルなものから宗教的なものまで様々な集いが開かれ、通りには人があふれています。
 
 
しかし、例えばワリ地区は、コロナウィルスの感染者が多く発生したため、7月中、政府によってロックダウンされました。
その他にも、各地区の議員が中心となり、住人の協力を得て通行を規制した通りもあります。
 
 
今では多くの人が自宅で過ごすようになり、オールドダッカに静けさが訪れました。
 
 
また、オールドダッカの人々の生活は、不安定なもの、不確実なものになりました。
特に工芸品の職人たちは、政府からいくらかの補償はあったものの、店をたたもうかと考えるほど窮地に立たされています。
 
 
低所得層・中所得層も経済的に苦しい状況にあります。
職を失い、道端で果物や野菜、タバコなどを売ったり、リキシャをひいたりしている人もいます。
また、普段の仕事だけでは十分な収入を得られなくなり、夕方以降、同じようにして別収入を得ようとしている人もいます。
 
 
こうした人々に対し、政府やNGO、若者グループなどが、食料を配布するなどの支援を行っています。
わたし自身も、Urban Study Groupのボランティア仲間と共に、中所得層の現状調査と食料配布を行いました。
中所得層は、低所得層に混ざって助けを求めることに恥ずかしさを感じるようで、苦しい状況に陥っていても、周囲が気づけないことがあります。
 
 
8月1日に行われたイスラム教の犠牲祭も、できる限りソーシャルディスタンスに気をつけるよう、呼びかけがありました。
でも、捧げものである牛を販売する市場を通りかかると、みんなあまり気にしていない様子。
感染への恐怖に慣れてしまったのか、新しい生活様式に飽きてしまったのか、オールドダッカでは、ソーシャルディスタンスが日に日に失われているように思います。